YouTube、X(旧Twitter)、Twitch、さらにはTikTokと、現代の配信者を取り巻くプラットフォームは日進月歩で多様化している。しかし、その中で異常なまでに強い求心力を保ち続けているのが、石川典行、コレコレ、加藤純一といった“ニコ生世代”の配信者たちだ。
新興の配信者が数多く登場しては消えていく現代。なぜ彼らは時代を超えて支持を集め続けるのか。そして、なぜ“今の新人”はそこまでの存在感を築けないのか——。
本稿では、いわゆる「ネット芸人」の生態に精通する記者の視点から、その理由を探ってみたい。
■「配信戦国時代」の前から生きていた者たち
まず、彼らの“強さ”を語る上で欠かせないのが、「プラットフォームの過渡期」を経験してきたという事実だ。ニコニコ生放送は、今でこそその影響力を失いつつあるが、黎明期のインターネット配信の“実験場”であり、“戦場”だった。
石川典行は言う。「俺たちは、1配信でBANされる覚悟を持ってやってた」
過激な企画も、通報リスクも、無茶な凸待ちも当たり前。編集で整えたコンテンツではなく、剥き出しの人間性で勝負する場——そこで鍛えられた言葉の瞬発力、空気の読み合い、そして“やらかしても戻ってくる胆力”こそが、今も彼らを支える武器である。
■「編集ありき」の時代に埋もれる“新人たち”
一方で、現在の新規配信者に求められるのは、「整った企画」「見やすい編集」「炎上しないバランス感覚」といった“安全設計された面白さ”だ。言い換えれば、尖った個性は編集の中に埋もれ、リアルタイムの緊張感も希薄になっている。
また、プラットフォームのAIアルゴリズムは、既存の人気者を優先的におすすめに載せる傾向が強く、「無名が話題を呼ぶ」チャンスは極めて少ない。“初動の再生数”が命綱となり、それに失敗した者は、日の目を見ることなくアカウントを閉じる。
配信者人口が過剰供給状態にある今、視聴者の側も“慣れ”ており、「また似たような人ね」と最初の5分で離脱するケースも多い。結果、せっかく素質があっても、波に乗れぬまま埋もれてしまう。
■“個”と“時代”の奇跡的接続
かつてのニコ生配信者たちは、決して“バズ”だけで上り詰めたのではない。コメントの罵倒に耐え、BANと復活を繰り返し、リアルとネットの狭間で何度も傷を負ってきた。それでもなお、彼らは自分の言葉を持っていた。
石川典行の雑談、コレコレの暴露、加藤純一の熱狂。これらはすべて、“今の時代が失ったもの”とも言える。奇抜で、暴走し、時に倫理を問われるが、それでも人間臭い“熱”を持っている。
それゆえ、彼らは視聴者の記憶に“刻まれる”。
■「古き良き時代」に魅せられる若者たち
興味深いのは、いわゆる“Z世代”の若者の一部が、今またニコ生的なカオスに惹かれているという点だ。匿名性とリアル感が混在する空間、何が起こるか分からない予測不能性——情報に囲まれすぎた時代だからこそ、予測不可能な“ライブ感”への回帰が起きているのかもしれない。
新しい配信者がその感覚を取り戻すためには、もはや編集テクニックやSEOだけでは不十分だ。「人間そのもの」で勝負しなければ、配信者という職業は“再生数の奴隷”に成り下がる。
■おわりに——“配信者”という現代の芸能
ニコ生出身者が「ただの配信者」でなく「芸能人」として支持されているのは、彼らが“見られること”そのものに自覚的であり、視聴者と生身で向き合う覚悟を持っているからだ。
視聴者に媚びず、時に挑発し、時に泣き、時に土下座する——そんな“熱狂と破滅の間”を歩む姿にこそ、人は惹かれる。
令和の配信界に必要なのは、マニュアルではなく、生身の熱。そう、ニコ生は死んでも、“ニコ生の魂”はまだ死んでいない。
(記者=居野海斗)
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