北海道福島町で、新聞配達員の男性がヒグマに襲われ死亡した事件を受け、北海道庁には「クマがかわいそう」といった抗議の電話やメールが相次いでいる。中には2時間以上も執拗に電話をかけ続ける人物もいたというから、もはや哀れなのは人命よりもヒグマなのかと耳を疑いたくなる。
抗議が集中したのは、事件発生日の12日から24日までの間で、総数は120件に上った。特にヒグマが駆除された18日以降は、「殺すべきではない」「山に返すべきだった」などといった苦情が増えているという。こうした声の多くは、北海道の外から寄せられたものであったといい、道民の暮らしと現実を知らぬ“正義の声”が、現場の判断と職責を軽視している感は否めない。
鈴木直道知事は25日の記者会見で「市街地でクマと対峙する危険性が想像できないのかもしれないが、ハンターも命を懸けて従事している」と述べ、駆除の必要性を訴えた。実際、突然襲われた新聞配達員は、何の過失もなく命を落としたにもかかわらず、哀悼の声より先にクマへの“同情”が寄せられている事実は、社会の倫理観の歪みを如実に物語る。
それにしても――人が死んでいる。仕事中に突然、牙をむいた野生動物に命を奪われた。冷静に考えれば、この現実の前に立ちすくむべきは人間の側だ。それにもかかわらず、「クマにも命がある」と電話越しに訴える者がいる。その執念深さを、たとえば交通事故死や凶悪殺人事件の加害者擁護に向けることはあるまい。
もしも彼らがそこまでクマを愛し、ヒトより尊いと信じてやまないのなら、いっそのこと――自宅にヒグマをお届けし、共に暮らす「クマと仲良く同居キャンペーン」でも立ち上げてみてはどうか。あるいは、通話の長さに比例して、抗議者をクマと同じ檻に入れて数分間交流する「共感体験型・命の重さワークショップ」でも始めた方が建設的かもしれない。
それとも、彼らの言う「山に返すべきだった」という提案は、ヒグマに「ごめんね、もう出てきちゃダメだよ」と説教すれば理解してもらえるという空想の上に立っているのか。自然との共生を語るには、まず現実に即した理性が要る。
命の重さは、立場によって変わっていいものではない。野生動物を愛する自由があるように、襲われる不安の中で暮らす地域住民の安全と日常を守る責任もあるはずだ。
(※本記事は、2025年7月25日付『産経新聞』報道「『クマがかわいそう』新聞配達員襲撃のヒグマ駆除に抗議殺到」および北海道庁の発表をもとに記者が論評を加えたものです)
記者=西元翔栄
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