今年もクリスマスの季節がやってきた。子どもたちにとっては胸の高鳴る一夜だが、法律と経済の世界から眺めると、毎年同じ問いが浮かび上がる。「サンタクロースは、日本国内で正式な営業許可を取得しているのか」。実は現代の法制度と経済構造をえぐり出す、なかなかに厄介なテーマである。
あしたの経済新聞が関係機関に確認したところ、サンタクロース名義で運送業の許可や航空運送事業の届け出がなされている事実は、記事執筆時点までに確認できなかった。もっとも、サンタの活動は対価を受け取らない完全な無償サービスであるとされており、貨物自動車運送事業法などが前提とする「対価性」を満たしていない可能性が高い。形式的には運送業に該当しないから届け出がない、という理屈は成り立つが、そのことで問題が解消されるわけではない。
仮にサンタクロースが日本国内で法人として事業登録を行ったと想定してみよう。登記事項には「超高速国際宅配業」といった事業目的が記され、保有車両の欄には、トナカイにそりを牽引させる特異な飛行体が並ぶことになる。既存法令にそのような区分は存在せず、航空法や家畜に関する規制に新しいカテゴリーを設けなければならない。しかも、その事業は一夜のうちに地球を一周し、世界中の子どもの行動履歴や善行記録まで把握して配達先を選別するという設定である。法制度の想定をはるかに超える“超高機能プラットフォーム”と言ってよい。
さらに厄介なのは、プレゼントを実際に届ける労働力の問題だ。編集部が外部の運送会社への委託の有無を確認したところ、サンタが大手物流企業などに配送を外注している実態は見つからなかった。むしろ、現実的な仮説としては、世界中の親たちが一夜に限り「日雇いの配送スタッフ」として機能している、という見方のほうがしっくりくる。
世界には約二十一億人の子どもがいるとされる。彼らの親を、日本の平均的な最低賃金水準で二時間だけ雇用したと仮定すると、人件費だけで四兆七千八十二億円に達する計算になる。そこに、サンタ側がプレゼント代金を一人当たり八千円程度負担すると想定すると、プレゼントそのものの原価が十六兆八千億円に膨らむ。加えて、親に対して業務委託の名目で一世帯あたり五千円を支払うとすると、その委託費だけで十兆五千億円に達する。三つを合算した結果は三十二兆八十二億円。国家予算級の支出を、収益ゼロの純粋な持ち出しで賄わなければならないという、常識外れのビジネスモデルが浮かび上がる。
この事業構造を法の観点から眺めると、さらに多くの論点が現れる。まず航空法である。登録のない飛行体が、事前の飛行計画も提出せず、各国の領空を自由に飛び回る光景は、現実の法規制と照らせば完全な想定外だ。トナカイに牽引させるそりが航空機に該当するのかどうかという分類の問題に加え、夜間に低空で住宅地上空を飛び続ける安全性の問題も持ち上がる。
国境をまたいで物品を持ち込む以上、税関や関税法の問題も無視できない。プレゼントが商業貨物ではないとしても、出所や数量の把握が困難な荷物が一夜に数億件単位で移動する状況は、税関当局の検査能力を完全に上回る。形式的には申告義務や関税賦課の対象となり得るが、制度の運用を前提とした議論自体がもはや追いつかない。
労働法と動物保護の観点も、サンタ事業の“影”を照らし出す。二十四時間連続稼働に近い労働をエルフやトナカイに課していると仮定するならば、人間に対する安全配慮義務や労働時間規制、さらには動物福祉の基準にも正面から抵触し得る。明るいクリスマスの物語の裏側で、過重労働と酷使が前提となっているとしたら、それはもはや寓話ではなく、現代社会の縮図とさえ言える。
情報法制の観点では、サンタが「世界中の子どもの住所、生活パターン、行動履歴、好き嫌い」まで把握しているという設定そのものが、個人情報保護法や欧州のGDPRの理念と正面から衝突する。本人や保護者の同意はどう確保されているのか、データはどのような安全管理措置のもとで保管されているのか、第三者提供は行われていないのか。現実の企業であれば監督当局から厳しい追及を受けるはずの論点が、物語の世界では一切説明されないまま放置されている。極端な仮説として、反社会的勢力などに個人情報を売却して収益を捻出しているのではないかといった疑念さえ理屈の上では成り立ちうるが、もちろんそのような実態を裏付ける証拠はなく、本紙としてもあくまで法制度の限界を示す思考実験として紹介するにとどめたい。
では、これほど巨大な赤字と法的リスクを抱えた事業体が、もし現実世界の企業のように破産を余儀なくされたとしたら、どこの裁判所に申し立てることになるのか。ここでも、サンタの“所在地”という難題が浮かび上がる。
北極に本店を置くという伝統的なイメージをそのまま受け入れるならば、そこはどの国家にも属さない地域であり、主権国家の裁判所は管轄権を持たない。破産法の適用そのものが不可能となり、倒産手続きは出発点から行き詰まる。フィンランド北部のラップランド地方に「サンタ財団」のような法人格を付与する設定を取るのであれば、フィンランドの地方裁判所が破産管轄を持つことになり、日本でいえば地方裁判所に相当する機関が、サンタ事業の清算を担うことになる。
仮に日本国内にサンタ関連の法人が設立されていた場合は、本店所在地を管轄する地方裁判所の破産係が手続きを担当することになる。札幌に本店を置けば札幌地裁、東京なら東京地裁、名古屋なら名古屋地裁といった具合である。一方で、サンタ組織全体が国際機関のような扱いを受け、国連の専門機関と同様の免除特権を有する存在だと整理されるならば、そもそも各国の破産法は及ばず、「倒産」という概念自体が適用対象外となる。
こうして見てくると、サンタクロースという存在は、子どもたちの夢を運ぶ温かな物語であると同時に、国境を越えるデータ流通、過酷な労働、国際物流と航空規制、そして国家をまたぐ司法管轄といった、現代社会が抱える根源的な課題を映し出す「鏡」としても機能しているように映る。三十二兆円規模の赤字を抱えながら、それでも一夜限りの無償サービスを続けることができるのは、現実の企業会計や破産手続きが及ばない、物語の世界にだけ許された特権なのかもしれない。
クリスマスイブの夜空を見上げる子どもたちの期待を裏切る必要はない。しかし、大人の側は、その笑顔の背後に広がる法と経済の課題にも、少しだけ思いを巡らせてみるべき時期に来ているのではないか。サンタクロースという“世界最大の無償宅配企業”をめぐる仮想の議論は、現実の私たちが直面する制度の限界を静かに照らし出している。
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