「過激投稿社会」の到来――名言Botを自称する若者たちの“暴力と言葉”の構造を読み解く

2025年、春。桜の便りが届く日本列島の片隅で、SNSという名の仮想空間では、まるで全く違う季節が到来している。そこでは春の陽気とは無縁の“怒気”と“毒気”が飛び交い、人間同士が互いに言葉の刃を突きつけ合っている。

投稿はこうだ。

「やばい福井県でテロの計画を立てたくなってきた。」

画像 : 過激投稿

一瞬、耳を疑いたくなるような言葉だが、これは作り話でもなければ映画の脚本でもない。SNS上に漂う、日々繰り返される過激投稿の一例である。問題は、こうした投稿が“突拍子もない悪戯”としてではなく、あたかも日常の会話の延長として繰り返されていること、そして誰もが“言葉の暴力”をエンタメとして消費してしまうという現実にある。

現代の若者たちは、もはや投稿に「倫理」や「社会的責任」を求めることが困難な環境に置かれている。SNSという空間が「仮想の劇場」と化し、彼らはその舞台上で“炎上”という名の拍手を求めて踊り続けているのだ。

この奇妙な投稿の裏には、いくつもの構造的要因が張り付いている。ただの「ネットの悪ふざけ」では説明のつかない、深く根強い問題が横たわっている。今、日本社会は、“投稿型暴力”という未曾有の社会病理に直面しているのである。

SNSにおける暴力は、かつての“匿名の陰湿さ”とは異なる性質を持つようになってきた。実名であろうが、顔出しであろうが、「死ね」「爆破」「潰す」といった語彙はむしろ日常語の一部として使われ、投稿者たちはその言葉を“ジョーク”“ネタ”として位置づけている。

企業の商号・ブランドを名乗る「○○名言Bot」なるアカウントが、その実、中傷や罵詈雑言、果ては犯罪教唆に近い投稿まで行っている例も後を絶たない。

たとえば、「株式会社○○」や「某有名タレント名+Bot」などの名称で、実際には企業とも本人とも無関係な人物が「部下が使えない」「取引先潰したい」「元カノ死ね」といった文言を垂れ流す様は、まさに現代の“デジタル擬似人格症候群”とでも呼ぶべき病理である。

画像1 : 名言botを自称し過激投稿を行うX(旧Twitter)アカウント
画像2 : 名言Botを自称するアカウントがX(旧Twitter)に投稿した北朝鮮による拉致被害者に関する過激投稿
画像3 : 画像2の投稿への返信
画像4 : 画像2の投稿への返信

そして、問題なのは「それが面白い」と認識されてしまう点にある。社会は暴言に拍手を送り、「不謹慎」がバズを生み出す燃料として機能してしまっている。これはもう言葉の進化ではなく、堕落であり退行である。

言葉は、もはや「人間をつなぐ道具」ではなく、「攻撃のツール」へと完全に変質してしまった。

なぜここまで暴力的になったのか――その答えを追い求めると、教育と家庭という二つの柱に突き当たる。

教育の現場は今や沈黙している。生徒がSNSで教師を晒し、逆に教師が生徒を注意すれば“パワハラ”のレッテルが貼られる。こうして指導の現場は「腫れ物」に変わり果て、教員たちは生徒の内面よりも“訴訟リスク”の方を気にするようになってしまった。

かつての学校では、「これは言ってはいけない」「それは相手を傷つける言葉だ」と諭す教師が存在した。だが今や、教師が生徒に注意することそのものが訴訟の火種になりかねない。結果、生徒たちは“言葉の凶器化”を止められる大人を持たぬまま育ち、SNSという巨大な闘技場で“罵倒と中傷”のスパーリングに没頭しているのである。

そして、家庭の崩壊がそれに拍車をかける。

共働きが常態化した日本において、家庭はかつてのように「子どもが帰る場所」ではなくなってきた。会話のない家庭、テレビが鳴りっぱなしの家庭、スマホを見つめるだけの家庭――愛情が“物理的接触”ではなく、“無言の放置”として提供される時代にあって、子どもは“孤独”と“承認欲求”をSNSで満たそうとする。

「いいね」や「RT」は、新たな親の愛の代替物であり、攻撃的な言葉は「注目されたい」という渇望の裏返しなのだ。

子どもが「お母さん、これ見て」と言っても親が無関心であるならば、子どもは「世界よ、これを見ろ」と投稿するようになる。
この“愛情の転位”こそが、現代のSNS依存を暴走させる最大の燃料なのである。

加えて、こうした暴言投稿はしばしば「自己正当化」のロジックに支えられている。「あの人が悪いから言った」「被害者面するな」「匿名だから問題ない」――それらの言葉は、すべて責任回避のための呪文である。

そして、SNSの世界は“責任が曖昧であること”を、むしろ魅力として提供している。だからこそ、人は「やばい福井県でテロしたくなってきた」などという投稿を、まるで映画のワンシーンのように軽々しく発信してしまえるのだ。

現代社会は、暴力に対して寛容すぎる。そしてそれは、社会が成熟したのではなく、単に“麻痺”しているだけである。
「言葉の暴力」にすら耐性がつき、「それくらい普通」と感じてしまう感覚の鈍化は、やがて“実際の暴力”をも許容する土壌を育んでしまうだろう。

果たして、このままでよいのか。
若者を責めるのは簡単だ。だが彼らが育った土壌を作ったのは、ほかならぬ大人たちである。愛情を与えず、教育を恐れ、責任を放棄し、承認欲求だけをエンタメとして育てた社会に、「言葉で人を殺す世代」が誕生してしまったのは当然の帰結ではないか。

“Bot”の名を騙る投稿主たちは、ある意味で“親のいない言葉たち”である。誰も止めてくれなかった、誰にも教えてもらえなかった、暴れ続ける言葉の亡霊たちが今、SNSという無限の空間で彷徨っている。

暴言の責任は投稿者にある。しかしその責任を育てたのは、社会そのものである。
ならばこの“言葉の暴走”を止める第一歩は、家庭が家庭に戻ること、教育が教育に立ち返ること、そして社会が“言葉の重み”を再び取り戻すこと以外にない。

さもなければ、日本は「言葉に殺される国」になってしまう。

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