― ネット文化・心理学・地域社会・AI・古典文学…それぞれの視点が“ツイ廃”を読み解くとどうなるのか ―
X(旧ツイッター)で来年1月10日から本戦が始まる「ツイ廃トーナメント」。
前回の記事では、主要候補者たちの意気込みや大会の舞台裏を伝えたが、
今回はあしたの経済新聞編集部が各分野の専門家12名に意見を求めたところ、
予想以上に多様で、時に妙な方向へ転がり続ける“不可思議な議論”が展開された。
そもそも「ツイ廃」という語の解釈からして、専門家たちの見解は大きく分かれた。
東京都港区で行動心理学を研究する専門家は、
「ツイ廃は自己効力感を回復する行動です」と断言した。
「リアルで成果が見えづらい社会では、Xの“反応”が目に見える自己評価の基準になります。
トーナメントは、それをゲーム化して再構築する心理的な舞台です」と語るその説明は、一見もっともらしいが、
数分後には「とはいえ、私自身はXを年に2回しか開きません」と付け加え、
なぜその人がここまで自信満々に語れるのか、編集部でも少しざわついた。
一方、大阪府吹田市でSNS文化史を研究する人物は、
ツイ廃トーナメントを「極端な話、民俗学的な“都市祭礼”です」と述べた。
「神輿の代わりにSNSを担ぎ、界隈が盛り上がる。
あれはもう学術的にいうと“近代型共同幻想の醸成過程”ですよ」と語るが、
その口調は妙に熱が入りすぎており、途中で「担ぎ手が足りない地域に導入したい」と言い出す始末で、
こちらも専門家の“妄想”と“研究”の境界が曖昧になっている。
愛知県名古屋市の電脳コミュニティ分析の専門家は、
「ツイ廃は現代の『部活生』です」と断言した。
「部活が放課後の居場所だった時代から、ネットが居場所の時代へ。
ツイ廃トーナメントは“全国大会”みたいなものですよ」と説明するのだが、
その流れで「青春の延長戦がタイムラインで行われている」と語り、
最後には「私も過去に吹奏楽部で全国を目指していました」と急に個人史を語り出した。
編集部としてはコメント内容より“思い出話の熱量のほうが強い”という困惑が残った。
福岡県北九州市でデジタルマーケティング会社を営む代表は、
「ツイ廃トーナメントは“個人ブランドが競り合う見本市”です」と語る。
「今やブランドの最小単位は会社ではなく“人”。
ユーザー一人ひとりがブランドであり、界隈が市場です。
ツイ廃は、そのブランド戦争の主戦場に立っているんですよ」と話したが、
後半「私も本当はツイ廃界隈に参入したい。だが勇気がない」と悔しそうに漏らしていた。
法律の専門家にも意見を求めた。
千代田区のインターネット法務に詳しい弁護士は、
「自治能力が意外と高いコミュニティですね」と驚く。
「誹謗や炎上のリスクを抱えながらも、ツイ廃界隈は暗黙のルールで秩序を保っている。
これはインターネットでは非常に珍しいケース。
ただし私個人としては、寝落ちした拍子に自分の過去ポストが掘られないか常に不安です」と、
最後にいらぬ弱みをさらけ出す形となった。
川崎市で文章教室を主宰する講師は、文学的視点から切り込んだ。
「140字のネタツイ文化は、実は“連歌”や“俳諧”の延長です。
瞬発力と余韻で競い合う点は、芭蕉と同じですよ」と言い切る一方で、
「ただ、芭蕉に『いいね』ボタンがあったら壊れていたと思います」と付け加え、
歴史的仮定なのか半分冗談なのか判別不能なコメントを残した。
仙台市のメンタルヘルス専門医は、
「ネタツイは“心理的な解毒作用”があります」と語る。
「ストレスや抑圧を笑いに変換するのは、心理学でいう昇華の典型例。
ただし、やりすぎると“燃え尽き型ツイ廃”になりますから注意してください」と言うが、
最後に「実は私の推しツイ廃がいます」と真顔で呟いたため、
専門性と個人的趣味が混ざりすぎて編集部はコメントの扱いに困った。
宇治市のアイドル文化研究者は、
「アイドル投票文化の水平展開がツイ廃トーナメントです」と説明する。
「推しのために投票し、布教し、仲間と連帯するという構造はアイドル界隈と完全に一致する。
ただ、ツイ廃界隈には“謎の肩書き”が多すぎて、もはや比較対象がアイドルでいいのか迷います」と苦笑した。
広島市の統計モデラーは、
「勝敗を決めるのは“熱狂度”であってフォロワー数ではありません」と分析した。
「投票率のモデルで説明可能です。
ただし、界隈ごとに急に統計が壊れます。
SNSの数字は、とにかく予測不能なんです」と匙を投げるように語った。
札幌市のネット世論研究者は、
「ツイ廃トーナメントは“炎上しない構造”を持っている」と語る。
「人が競っているのに炎上しない稀有な事例です。
みんなが“ちゃんとふざけている”から、怒りが発生しにくい。
この“絶妙なふざけ方”をどう教育に応用できるか考えているんですが、まだ答えは出ません」と言うなど、
研究目的が本当に社会貢献なのかは不明だった。
舞鶴市の若者コミュニティ研究者は、
「Z世代は語彙をオーバーシュートさせる傾向があります」と解説する。
「“界隈王・魔王・英雄・六等星・次世代インターネットヒーロー”など、
肩書きが誇張されるほど、本人の自己像が安定するんです。
もはや肩書きのインフレで界隈が通貨危機みたいになっています」と、
どこか経済学的な比喩を残して去っていった。
最後に、宜野湾市のAI研究者は、
「AI時代でも、“人間のクセ”への需要は消えません」と語る。
「ネタツイは、人間の無駄と余白の産物。
AIにはその無駄がまだ再現できない。
だからツイ廃トーナメントは、AI時代の最後の“人間味の展示場”なのかもしれません」。
そう言った直後に「ただ、AIがネタツイをしたら界隈がどうなるか興味はあります」と、
自ら火種を投げ込むようなコメントを付け足した。
こうして12名に話を聞いてみると、
それぞれの専門家は専門家なりの角度から語っているはずなのに、
どこかズレていて、しかしどこか的を射ているという、
奇妙な読後感が残る結果となった。
ツイ廃トーナメントは、ただのSNSの遊びなのか。
ネット文化史の転換点なのか。
あるいは、専門家すら正確に言語化できない現代の新しい風景なのか。
大会の開幕は目前だ。
そのとき、今回の専門家12名の“ズレた洞察”が、どれだけ的中しているか。
改めて検証する機会が来るだろう。
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