負債と共に歩む男 – 起業失敗から140万インプレッションへ

起業という言葉の響きは、時に甘美で、時に恐ろしい。多くの成功者の陰に、数え切れぬほどの敗者が横たわっていることを、私は身をもって知っている。その証明は、私の通帳残高と手元に残る督促状が代弁してくれる。

かつて私は、夢と希望を胸にCtoC関連の事業で起業した。価格は「これなら絶対に人が集まる」と思えるほどに低く設定し、手数料も「誠実さ」をアピールするため、限りなく薄利にした。結果として、受注すればするほど赤字が膨れ上がるビジネスモデルが完成した。これを「失敗」と呼ぶのは簡単だが、当時の私は「いつか回収できる」と本気で信じていた。

そんな甘い夢が砕け散るまでに、わずか3ヶ月。給料は当然のようにゼロ。気がつけば、「無給労働」「負債(少なくもないが多くもない)」「何も残らない」という三位一体の地獄絵図が完成した。

4ヶ月目、ついに金融機関から督促状が舞い込んだ。ポストに差し込まれた白い封筒を開いた瞬間、胃がきゅっと縮む感覚を覚えた。それでも「これはよくあることだ」と自分を慰める。ところが、5ヶ月目に入ると、債権者から法的措置の予告が届き始めた。さすがに笑えなかった。

問題は金がないことだった。支払いたい気持ちはあったが、そもそも払えるわけがない。全財産をかき集めても数万円。今日を生きるので精一杯だった。

そんな中で、唯一残っていたのが事業用のドメインだった。泣く泣くオークション会社に売却した。ドメインを手放した数時間後、オークション会社から振り込まれたのは約10万円。驚くべき額だったが、同時にウェブサイトも買い取られていたことが後で判明した。

正直、その瞬間は空虚だった。10万円が振り込まれても、負債はその数十倍。これでは焼け石に水。もはや親に泣きつくしかない状況だったが、「恥ずかしい」と自尊心が邪魔をした。さらに追い打ちをかけるように、破産手続きをするにも弁護士費用が必要だと知り、絶望は深まるばかりだった。

「もう失うものは何もない。ならば、やりたかったことをやってみよう。」そう考えた私は、かつて趣味で運営していた経済情報サイト「Tittiby Japan」に「学友商業日報」という新たなコラムを掲載し始めた。これは、旧友たちとの交流をヒントにした企画で、要するに「学びの中にビジネスの種がある」というテーマで書いた。

すると、これが思わぬ反響を呼ぶ。

ある日、「失敗=馬鹿」では「成功=天才」なのか、という記事をX(旧Twitter)で共有した。すると、わずか2日で140万インプレッションを記録し、サイトへの流入が40万件以上増えたのだ。この瞬間、私は「これだ!」と確信した。

アクセス数が急増し、広告収入が跳ね上がった。翌月22日には、負債をはるかに上回る収益が振り込まれた。まさに奇跡としか言いようがない出来事だった。

現在、私は記事執筆代行、取材代行、撮影代行などを中心に事業を展開しているが、あの時の苦しみに匹敵する経験は、まだ味わっていない。

とはいえ、私の仕事柄、債権回収や負債に関する話題は避けて通れない。債務者の話を聞くたびに、過去の自分が重なり、胸が痛くなることもある。そのため、仕事中は極力無心でいるよう心がけている。

多くのライターと仕事をする今、私は日々「これは当たり前ではない」と自らに言い聞かせている。あの140万インプレッションの出来事がなければ、今ごろ私はどうなっていただろうか。もしかしたら、まだドメインを売り続けていたかもしれないし、弁護士費用を工面するためにアルバイトをしていたかもしれない。もしかするとこの世にいなかったかもしれない。

失敗は、決して終わりではない。それは、新しい何かの始まりであることを、私は身をもって知った。 #ビジネス #事業

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