「技術の日産」とは、ただの宣伝文句ではない。それは日本の航空機産業の栄光と挫折、そして戦後の復興を背負った男たちの歴史そのものだ。日産自動車の前身は、決して平坦な道を歩んできたわけではない。
そこには、戦時下で躍動した軍需産業の猛者たち、そして戦後の混乱を生き抜いた技術者たちの壮絶なドラマがあった。
本記事では、日産自動車の源流を、戦前から戦後の日本の工業史に深く刻まれた企業群と絡めて紐解く。
中島飛行機、立川飛行機、東京富士産業、富士工業、富士自動車工業、大宮冨士工業、宇都宮車両、プリンス自動車工業――これらの企業と日産の関係をひもときながら、かつて「日の丸戦闘機」を作り上げた技術者たちが、いかにして「日の丸自動車産業」を築き上げたのかを見ていこう。
日産の源流――快進社から始まる物語
日産自動車のルーツは1911年に橋本増治郎が設立した快進社に遡る。
快進社は1914年、日本初の量産ガソリン車「ダット号」を開発。「ダット(DAT)」の名は、当時の三大出資者の頭文字を取ったものだった。
このダット号が後の「ダットサン(Datsun)」へとつながっていく。
その後、快進社は経営難に陥るも、戸畑鋳物(現在の日立金属)の傘下に入り、なんとか生き延びた。そして1931年、「ダットサン」のブランドが確立される。
しかし、それだけでは終わらない。1933年、この快進社の自動車事業は、日産コンツェルンの総帥であった鮎川義介の手に渡る。鮎川は、すでに金融・鉱業・重工業などの分野で勢力を誇っており、満州などでのビジネスにも手を広げていた。鮎川のもとで、「自動車製造株式会社」として横浜での生産が始まり、1934年にはついに「日産自動車株式会社」が誕生する。
こうして、日本の自動車産業は新たな時代を迎えることとなった。しかし、当時の日本はすでに戦争の渦中にあり、日産もまた国家総動員体制のもと、軍需産業へと深く組み込まれていくことになる。
中島飛行機・立川飛行機――航空技術が自動車へと転生する瞬間
「技術の日産」の系譜をたどるには、まず中島飛行機と立川飛行機の存在を抜きにして語ることはできない。
この2社は、かつての日本航空機産業の両翼を担った名門企業であり、戦時中に数多くの名機を生み出した。
中島飛行機――日の丸戦闘機の名門
中島飛行機(現在のSUBARUの源流)は、戦前から日本最大の航空機メーカーとして名を馳せた企業である。
特に、零戦と並ぶ名機である「隼」や「疾風」は、中島飛行機の技術の粋を集めた戦闘機であった。
しかし、1945年の敗戦により、日本の航空機産業は事実上壊滅。GHQによる生産禁止令が下され、中島飛行機もまた解体される運命にあった。
だが、その技術者たちは消えたわけではなかった。むしろ、彼らは新たな活躍の場を求めて、自動車産業へと流れ込んでいく。
そして、その中の一部は日産へと合流することになる。
立川飛行機――名機「九七式戦闘機」の設計者たち
一方、立川飛行機は陸軍の主力航空機メーカーとして、数々の名機を生産してきた。
特に九七式戦闘機や一〇〇式司令部偵察機などは、当時の最先端技術が注ぎ込まれていた。
だが、戦後は中島飛行機と同じく解体され、技術者たちは散り散りとなる。
その一部が合流したのが、のちのプリンス自動車工業である。
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戦後の自動車産業の胎動――富士工業・富士自動車工業・プリンスの台頭
敗戦によって航空機産業を失った日本だったが、技術者たちは再び動き出していた。
彼らが目を向けたのは、新たな輸送手段としての自動車だった。
プリンス自動車工業――高性能車の源流
プリンス自動車工業は、立川飛行機の技術者たちによって設立された東京電気自動車が母体である。
彼らは戦後すぐに電気自動車を手掛けたが、間もなくガソリンエンジン車の開発へと舵を切る。
その結果生まれたのが、日本が誇る高性能車「スカイライン」だった。
このプリンスが1966年に日産と合併したことにより、「スカイラインGT-R」という名車が誕生することになる。
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「技術の日産」の真髄――航空機技術が生んだ自動車の進化
戦前・戦中にかけて日本の航空機産業を支えてきた名門企業群は、敗戦とともに姿を消した。
しかし、その技術者たちは生き残り、自動車産業へと転生していった。
中島飛行機や立川飛行機のエンジニアたちは、日産やプリンスへと集結し、
航空機の技術を応用しながら、日本独自の高性能自動車を生み出していったのである。
ターボ技術、軽量ボディ、空力デザイン――日産が誇る数々の技術革新は、もともと航空機の技術から生まれたものだった。
そして、今もなお、そのDNAは日産のクルマに脈々と受け継がれている。
「技術の日産」とは、決して偶然に生まれた言葉ではない。
それは、日本の航空機産業の遺産を受け継ぎながら、戦後の自動車産業を牽引してきた歴史の証なのだ。 #日産 #ビジネス #中島飛行機
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